この度、「肝血管腫切除手術」ということで2021年4月12日より東京慈恵医科大学付属柏病院(以下:慈恵医大柏病院)に入院することになりました。
人生初の入院です。野田市出身の私は小張病院でもなくキッコーマン病院でもなく、慈恵医大柏病院に入院となりました。
めったに体験できることでない(とあってほしい)なのでブログに残しておきたいと思います。
肝血管腫とは
肝血管腫とは肝臓にできる良性の腫瘍のことで、基本無害とのことで放置していいようです。しかしそれが大きくなると腹痛や圧迫感なので症状が出るようで、そうなると手術で切除が望ましいとのことです。
原因は不明でアルコールを飲みすぎているからできるというわけでもないみたいですね。ちなみに私の場合は、その腫瘍が10cm以上に育ってしまっていたようです。
最初は健康診断の血液検査での肝機能項目のいくつかの値が高く(γGTPは常連ですが)、キッコーマン病院でCTを撮影したことが見つかったきっかけです。
てな感じでいわれ、キッコーマン病院ではできないため紹介状書いていただいたのが今回入院した慈恵医大柏病院でした。
手術日当日
手術日は入院日の翌日の2021年4月13日です。1週間くらい前に入院してアルコールでも体から抜くかと思いきや意外でした。前日午前中に入院し、普通に病院内で静かに過ごし、食事し翌日を迎えました。
当日は朝8時15分から開始予定。お迎えがやってくるまでに手術着に着替え、靴下はきつめのハイソックス。
予定通り8時過ぎにお迎えがやってきて、手術室へ。もうこの時点では腹は据わってます。そしてまずは麻酔です。待ち受けているのは麻酔科の先生と3人の看護師たち。かわいい(といっちゃ失礼か?)看護師たちから自己紹介されちょっと照れ気味。悪くない気分。
麻酔科の先生のいわれるがままに猫背状態から背中に注射を打たれました。そしてそこから記憶が途切れます・・・・
気が付いたらベッドで運ばれていた
気が付いたらというか、意識が戻ったら私はベッドで運ばれているところでした。目は開いているものの言葉を発することができない。ただただ天井に並ばれた電球が規則的に動いているだけ。
なんか名前を呼ばれている気がするがそっちを振り向くこともできない。手も足も動かない。ただ一つだけ実感できることがあった。「私生きてるんだ。」
その後ICU(集中治療室)に移され数日間はそこで手厚く看護されます。どのくらい時間が経っただろう。看護師さんからの声が聞こえます。
私、手を動かしてみる(やった!動いた!)
私、やってみせる(おおギターが弾けなくなるということはなさそうだ)
正直体がや手足が動いてホッとした記憶があります。ギターが弾けなくなったらどうしよう、バンド活動ができなくなったらどうしようと不安でした。とりあえず一安心でした。
口の中に何か突っ込まれている
しかし一安心も束の間。言葉を発しようにも何も言葉にならない。口の中に何か突っ込まれている。多分呼吸器。なんだか大がかりな手術だったのかなあとそこで気が付く。
もちろん呼吸はできるので苦しくはないのだが、なんか苦しい気がする。ていうか手足も固定されているので身動きが取れないせいだろう。
しかしICUの看護師たちの暖かい励ましの言葉が耳に入ることで意識を無にすること。この場面は寝るしかないのだ。幸い麻酔は背中からまだ入っているようで痛みはない。ただ強烈な違和感だけ。そしてゆっくりと時は過ぎていく。時間の感覚がまるでわからない。
ICUでの数日間
ICUに入ったのが13日の夕方。その後は痛みというよりも違和感との戦いです。とにかくなすがままでいるしかない。
このころをは目をつぶれば様々な風景や物事がぐるぐるとひっきりなしに動いているのでした。とにかくいろいろなものが頭の中を駆け巡る。麻酔のせいだろうか。
決して気分が悪いわけではないのでしたが、夢を見ているというよりも幻を見ているという感覚に近いかも。ひょっとしてあれがいわゆる「三途の川」だったのか。
ICUでは私と同じように次々と患者さんが運ばれてきています。特殊なナースコールの音が夜通し響いてます。周りからはうめき声が四方八方から聞こえたりと(幻もあったかもしれないが)戦場の野戦病院のよう。
時計も見えず、外の風景も見えず(明るいか暗いかもわからない)時間間隔がまるでないなか、とうとう違和感に耐えきれず何度か嘔吐してしまいました。しかし出るものがない。空気だけでした。げっぷが出せない状況だったのでそれでよかったのかもしれません。
ジェスチャーで「水がほしい」「口の中の管はいつ取れる?」など看護師たちに伝えたが水はまだ飲むことができず、せいぜい口の中を潤すだけ。口の中の管はまだ取れないと、絶望的な答え。
しかしここで絶望してはいけない。ていうか絶望じゃないし。無になって時間が過ぎるのを待つしかなかったのです。
おそらく14日になって口の中の管を取ることができた。かなりの解放感。しかしまだ喉には違和感が。なんともう一本管が食堂に入っているとのこと。これが抜けない限りは真の解放感はない。しかし必要あって入れられているのだから仕方がない。
やはり無になって待つしかなかったのです。それから間もなく食道に入っている管も抜くことがてきかなりすっきりした。同時に手足も解放され、翌々日の16日にいよいよICUを卒業。一般病棟へ移されました。
実は大手術
ころ聞かされた話だったのですが、実は私が受けた手術は9時間ほど時間がかかり、しかも輸血4リットルも必要になる大手術だったようです。
当初の手術予定では「腹腔鏡手術」といってお腹に穴を開け、必要に応じて開腹していくとのことだったのですが、結局開腹手術に切り替わったようです。なので私のお腹には合計30cm以上の切り込みがあります。
それを縫ってホチキスみたいので止められその上にパッドみたいな保護剤を敷かれテープで貼り付けられています。
意外と痛みはありませんがお腹に力が入りません。咳をしたり痰を出すのでいちいち痛くなります。それが辛かったです。
経過観察室
一般病棟とはいってもまだ心電図を胸につけていたりと心配な部分も多かったようなので、ナースステーションとなりの経過観察室で過ごすことになりました。隣に人がいたのでほぼ二人部屋です。
ここではひたすらお腹の張りとの戦いです。お腹を切っているので力が入らず便もガスも出ない状況。お腹がパンパンです。触る看護師さんみんな「お腹張ってますよね」と言います。お腹に張り刺せばなんか飛んでいきそうな感じくらいの張りでした。
この日よりようやく水を許可され看護師さんにペットボトルを購入してきてもらいました。このときの一杯は最高においしい水でした。
翌日より流動食が始まりました。食欲は全然なかったので何食べても一緒でしたがとりあえず何か腹に入れておいた方がいいだろうと思い、つめこみました。
日によってはプリンやリンゴジュースもありました。プリンはちゃんとカラメルまで入ってました。
重湯に少しの食塩を入れて食べるスタイルです。味はほとんどしません。まあ決しておいしい食べ物ではなかったです。しかし付け合わせの味噌汁やヨーグルトみたいな飲み物はしっかりと味がしたのでうれしかったです。
幸いすでに立って歩くことができたので、腸の動きを活発にするためには動いた方がよいとのことなので、病棟内をふらふら歩きはじめました。
しかし点滴が首からと右腕・左腕を刺されておりさらに腹からは管が2本。歩きにくいこと極まりませんでした。
そこで私が重宝したのはAirPodsです。ワイヤレスなので点滴の管なんかとこんがらがることがありません。
その点有線のイヤホンだと点滴の管やなんかと絡んで結構面倒です。もちろんお手持ちのワイヤレスイヤホンでも全然問題ないと思いますが、AirPadsの場合私の場合Proですが、外気音を取り込むことができるので、看護師さんから話しかけられても聞き取れるのです。
さらに通話の品質もよく相手の声は当然クリアに聞こえるのですが、こちらの発する声も相手から聞き取りやすいようです。性能がよくないワイヤレスイヤホンはこのあたりで差がでるようです。
ついに一般の部屋へ
経過観察室で採決したりなんだりしながら、数日後にはついに一般の部屋へ移ることになりました。そのころになると両腕の点滴もなくなりかなり身軽になりました。そして食事も流動食から一般食へ。
とそれはいいのですが、ここで少しうれしかったことがあります。実は私、2人部屋を希望しておりました。そのため差額ベッド代として1日9,900円かかってしまいます。実際に利用したのは12日の入院時と13日の朝起きた時。それ以降の14日~19日はICUと経過観察室にいたので、その部屋を利用することがなく、もったいないと思っていたのですが、なんとその分(14日~19日)はカウントされないとのことでした。
これマジうれしかったです。6日分ですから約6万円分ですよね。これは大きい。いやあ親切な病院です慈恵医大柏病院は。
慈恵医大柏病院の食事はおいしい
病院の食事って正直期待しないじゃないですか?味が薄くて量が少なくてというイメージは私の中にはありました。しかしこの日ランチメニューで出てきたのが「あんかけ焼きそば」でした。
正直病院であんかけ焼きそばを食べるとは思っていませんでした。量も決して少なくありません。いやむしろ多いほうかもしれません。しかも果物までつきます。結構な満腹感です。
味はそこまで薄味ではありません。その分だしが効いているのだと思います。全然満足できるごはんだと思います。
朝は私の場合はパンが多いです。パンにバターやジャムがついて、スープもしくはサラダそして牛乳とフルーツというのが定番なのでしょうか。
オムレツなんか出たりすることもありました。食パンの時もありますよ。
夜ごはんもメニューは豊富です。小学校の給食なみのレパートリーはあると思います。メインのおかずは唐揚げであったり、焼き魚であったり、豚肉の味噌漬け焼きだったりとさまざま。
そのほか和え物や漬物・サラダと味噌汁orスープといったパターンです。フルーツがつく場合もあります。ごはんの量も220gあるので結構お腹一杯になると思います。これから入院される方はごはんのことはさほど心配しなくていいと思いますよ。
肝臓にささる管の入れ替え
ふいに先生の指示で肝臓に刺さる管2本のうち1本の入れ替えがありました。処置室まで車いすで運ばれました。
「歩いていけるのになぜ車いす?」
なんて思ったのですが、後で理由はわかりました。
処置室で横になり今ある管を抜かれました。体の中からするするっと何かが抜けていきます。少し痛い。
そして新しい管を内視カメラを見ながら差し込んでいきます。とにかくこれが痛い。痛みで絶叫とはいわないまでも声をあげてしまいました。しかもなかなかはいらないっぽい。こういう場面の時計の秒針はゆっくり進むようにできているのだろうか。長い。
なんとか差し込まれその後は縫合。麻酔を2か所打たれました(これまた痛い)。多分ほんの10分足らずだったと思いますが、えらく長く感じました。放心した私は歩くことがままならず、車いすで部屋まで戻りました。
そしてそのわずか2日後、役目を終えた管はあっけなく部屋で先生よりするっと抜かれました。
退院の目途
私の場合もともと2週間くらいの入院予定でしたが実はこの間、血液検査であまりよくない数字が出てたり、熱が不安定だったりと体調も微妙でした。CTの検査の結果で足に血栓が見つかったりしたこともあり、点滴が増えたりしました。
しかし数日でなんとか回復し、23日には来週連休前の退院予定とのお話をいただきました。ようやくゴールが見えた感じです。
血液検査の結果がよくなかった
26日朝にもう一度採決し検査の結果を見て退院へという流れでしたが、26日の血液検査の結果が思わしくなく、退院が延期となってしまいました。正直がっかりです。仕方ありませんが。
どうやら白血球の量が多いとのとこ。確か白血球とは血液に入った悪い菌をやっつける役割をするんじゃなかったけ。その量が多いとは悪い菌、つまり敵も多いとのことでしょうか。
またしばらく抗生剤の点滴を打って様子見とのこと。28日にあらためて採決し退院の判断をするとのことです。次こそは。
4月29日退院
前日の血液検査の結果、なんとか家に帰しても大丈夫との判断がされました。というわけで29日退院です。長かったような短かったような。正直ほっとしました。初の入院体験ということもあって、iPadやPC、kindleなどで暇つぶしは十分できましたが、やはり同じ風景は退屈というか窮屈でした。
まだ体50%程度での見切り発車的な感じですが徐々に回復してくると思います。仕事もブログも精力的に進めていきたいと思います。
病院・看護師さんたちに感謝
慈恵医大柏病院には大変お世話になりました。とくに手術後そして入院生活中、数多くの看護師さんたちには感謝です。
初めての入院なので比較はできないのですが、慈恵医大柏病院の看護師さんたちはみんな親切でした。いやな顔ひとつせず対応してくださりました。
基本朝と夜とでそれぞれの患者さんに担当の看護師さんがつくシステムです。定期的に患者さんたちの体温・血圧を測定し、食べたご飯の量・便通、体調などのヒアリングを行います。
夜眠れなかったり、お腹が痛くなったりなどの症状が出た場合、臨時で点滴を施してくれたりなどきちんと対処してくれて、そしてその状況をパソコンに打ち込んで情報を共有しているようです。
なので看護師さんが入れ替わってもきちんとその情報が伝わっており対応がスムーズでした。
新人看護師さんが研修
慈恵医大柏病院には看護師専門学校が併設されています。4月という時期だからか、いかにも新人看護師さんという方々が先輩と一緒についてまわってます。先輩看護師さんが患者さんに施している様子をみんな真剣なまなざしで見ている姿に感心しました。また男性看護師が少なくないこともちょっと驚きでした。
日本の医療機関は素晴らしい。こうやって次世代が育っていくのですね。今コロナ禍で医療機関は本当に大変だと思います。しかし苦しい人が少しでも笑顔が出るように施す、そんな看護師さんたちには自分の仕事に誇りをもって従事してほしい、そう心から思いました。
あらためて感謝します。まあ今後入院はしたくありませんが(苦笑)。
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