野田は醤油の街|野田の醤油の歴史について
今回は歴史の話。
ご存じの方も多いかと思いますが、野田市は醤油の街です。野田市駅を降りると近くにはキッコーマンの工場があり、野田市駅を降りると醤油の香りがします。近くには「キッコーマンものしりしょうゆ館」があり、醤油工場の見学が可能です。
詳細はこちらからどうぞ。場所は以下の通りです。ものしりしょうゆ館に関してはまた改めて記事にしたいなと考えています。
醤油郷野田
ちょっと野田の醤油の歴史について調べてみたので、書いてみます。野田に醤油造りが始まったのが永禄時代の1558年〜1569年の間と言われているようです。今から450年以上前。このころ生きていた人物が織田信長、武田信玄、木下藤吉郎(後の豊富秀吉)、今川義元ら。
なんかすごい。誰もが知る、大河ドラマも主人公になっているような武将ばかり。こんな時代から野田の醤油造りが始まっていたと知ると、感慨深いです。
野田で醤油を初めて作ったのは
このころ野田で初めて醤油を作ったのは「飯田市郎兵衛」の先祖だという。先祖の名前はわかりません。この飯田氏が近くの目吹城に居住していた佐々木義信を通じて武田勢に納め、川中島の合戦において士気を高める役割をになったといいます。
武田勢とはあの武田信玄率いる軍隊だと思われます。驚きです。さらに1640年には利根川本流を関宿から切り落とした江戸川開さく工事が完成し、野田は河船交通が盛んになる地となったようです。江戸川と利根川は野田市の関宿地区でくっついています。この工事のおかげで野田の醤油は江戸でも有名になったようです。
時が過ぎ、1781年には野田の造醤仲間が成立したとのこと。その仲間が
亀屋市郎兵衛、高梨兵左衛門、柏屋七郎右衛門、茂木七左衛門、大塚弥五兵衛、杉崎市郎兵衛、竹本五郎兵衛の七家だったとのこと。今の野田でも知った名前が。。。
現在の高梨兵左衛門さんは確か現在の野田商工会議所の会頭であり、清水公園を運営する千秋社の社長だったと思います。杉崎さんという名字も野田では結構いるような気がします。
話はそれましたが、その後茂木佐平治が造醤業に着手したことをきっかけに野田は醤油の生産地として著名になってきたといいます。現在の茂木佐平治さんは野田商工会議所の副会頭であり、野田ガスの社長です。名前は引き継がれているのですね。
高梨さんも茂木さんも立派な方です。今後も兵左衛門さんも佐平治さんの名前も引き継がれるのでしょうか。
現在のキッコーマンは当時は「亀甲万」といったようです。1873年に初めてオーストリアの万国博覧会に出品して名誉賞を得たといいます。まさに「世界の野田」になったのですね。
その後はキノエネ醤油や窪田醤油など、現在も続く醤油工場ができたのです。まさに醤油王国ですね。「野田であ蛇口をひねると醤油が出る」と揶揄されるのもうなづけます。
ちなみに1番上にある画像はキノエネ醤油さんの醤油です。
簡単ではありますが、野田が醤油とともに発展してきた街だということがわかっていただければ嬉しいです。
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